平成21年12月29日火曜日

荷風の女


結婚するかしないか。。。 
荷風にとって

“結婚とは、最初長くて三個月間の感興を生命に、一生涯の歓楽を犠牲にするものだ。“


けれども、周囲からのプレッシャー、特に父親の強硬姿勢で、荷風はよねと結婚させられた:

  •  荷風は結婚してもずっと芸者と付き合った
  •  父親がなくなったと、荷風はすぐ離婚した
  •  よねの実家から五百円の慰謝料を請求された



  すぐ八重次と言う芸者と結婚した
  八重次は荷風を浮気して、
  一年間あと突然に家出をしてしまった 

八重次との懐かしくほほえましい思い出も
  荷風の未練もあった



最もこ好んでいた女 (結婚しなかった)

•新橋芸者の中でも美人で有名な富松と付き合っていたときに八重次と浮気した
•八重次をしっとして、富松は結局荷風から身を引いて、荷風の未練を起こした
•荷風と富松はお互いにの名前を腕に入れ墨していた



『愛人一覧表』


“つれづれなるあまりが帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし” 


 出典: 松本哉、『女たちの荷風』白水社、東京2002
  • たいていの女は芸者だ
  • 表によると、五十五歳の荷風は二十四歳の女と付き合った
  • この表を作ったときと言えば、荷風は五十八歳だった!!! ー 荷風は若い頃に戻ろうとした、荷風の日記はずいぶん早い時期から『老い』を嘆く記述があった。

 エロ爺として。。。

ある作品はエロ過ぎると言われて、検閲された、たとえば 『腕くらべ』と言う小説

四畳半襖の下張』と言う春本も書いたが、自分の名前を使ってこれを発刊できなかった

1973年にその春本に基づいた映画は想像された。トリュフォーと言う有名なフランス人の監督によるとその映画は素晴らしい!!!



 

荷風の思想

荷風の座右の銘

「まことに色の世の中なれば兎に角戯れ遊ぶべし。人間わずか五十年と言えど四十からはぱっとも遊びにくし。その内も十七八までは何の心もなく世をくらせば差引 残り二十二年程なり。それさえ半分は寝て過ごせばわずか十一年なり。それも悉く通い詰にする人あらんやうもなれば、よく遊んでからが、高が五十年の中に丸 十年とは遊ばれぬ人間世としるべし。」


快楽を一番大切にした荷風は若い頃から欲情を抑えられなかった。
十六歳の時そのように書いた:

”その頃からさまざまな欲情の発動を感じ始めたのだ。”

吉原は荷風の楽園になった:

 


 “素人の女性を口説こうとすれば面倒な勇気や準備、手続きが必要になってくる。しかし『吉原』に行けばコトは簡単だ。“



荷風にとって芸者と遊女は普通の妻より正直な女だった。


自分の規則を守った。。。


 ”僕は若いときから一種の潔癖があって、
1。人の前で酔払はない事、
2。処女を犯さない事、
3。素人の女に関係しない事。
         此の三箇条を規則にしている…“


子を儲けたくないと思い、必ず避妊具を使用していたといった。







自分の子供を持たなかったけど養子が一人いた。
『父荷風』という本を書いた永井永光だ。